河合神社(賀茂御祖神社境外摂社・式内 鴨川合坐小社宅神社)
Contents
概 要
社号 賀茂御祖神社境外摂社 河合神社
式内社・鴨川合坐小社宅(かものかわあいにいますおこそやけ)神社(官幣名神大社・月次・相嘗・新嘗)
読み:かわい
所在地 京都市左京区下鴨泉川町59
旧地名 山城国愛宕郡
御祭神 玉依姫命
例祭日 11月15日 河合社祭
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
愛宕郡(オタキ) 21座(大8座・小13座)
式内社(名神大) 山城国愛宕郡 鴨川合坐小社宅神社(官幣名神大社・月次・相嘗・新嘗)
近代社格制度
創建 不詳
本殿様式
境内摂末社(祭神)
摂社 貴船社
末社
任部社(とうべのやしろ) 祭神 八咫烏神
三井社 式内社・三井神社(官幣名神大社・月次・新嘗)論社※
六社 諏訪社(式内社・須波神社論社)、衢社、稲荷社、竈神社、印社、由木社
※下鴨神社境内にも三井社が祭られている
一口メモ
京都市街地の寺社を車で回ること自体が無謀である。できるだけ市バスなど公共交通機関を利用すべきである。その最たる神社であろうか。昨年、下鴨神社参拝の際に回れなかったのが惜しく思っていたので、ぜひ参拝したかった。
下鴨神社周辺は交通量が多く、河合神社のすぐそばまで来ているのに駐車場がないので、下鴨神社をぐるっとひと回りし鳥居の横駐車場に停めて長い糺の森(ただすのもり)をひたすら歩いて参拝。つまり本来の下鴨神社の参拝通路とは逆である。
歴史・由緒等
「方丈記」の著者である鴨長明がこの神社の神官の家に生まれたと言われているゆかりの社。
神武天皇とともに御母神として日本建国に貢献された内助のご功績は、日本婦人の鑑とも仰がれており、安産、育児、縁むすび、学業、延命長寿の守護神として広く知られている。
由緒
鎮座の年代は不詳であるが神武天皇の時代からあまり遠くない時代と伝えられている。「延喜式」に「鴨河合坐小社宅神社」とある。「鴨河合」とは、古代からこの神社の鎮座地を云い、「小社宅」(こそべ)は「日本書紀」に「社戸」と訓まれ、それは本宮の祭神と同系流の神々との意味である。
延喜元年(901)12月28日の官符には「河合社、是御祖、別雷神の苗裔也」ともある。
天安2年(858)名神大社に列し、寛仁元年(1017)神階正二位。元暦二年(1185)正一位。明治10年(1887)賀茂御祖神社第一摂社に列せられた。
社殿
本宮の21年目ごとに行われた式年遷宮の度ごとにこの神社もすべての社殿が造替されていたが、現在の社殿は延宝7年度(1679)式年遷宮により造替された古殿を修理建造したもので、平安時代の書院造りの形式をよくとどめている。
河合神社と鴨長明
「ゆく河の流れはたえずして しかも、もとの水にあらず」という冒頭の文で始まる方丈記は多くの人々に親しまれている。作者鴨長明は、本宮禰宜の家系であった。幼少より和歌にすぐれ、後鳥羽院に見いだされ御和歌所の寄人となり、宮廷歌人として活躍したことで知られている。
石川や瀬見の小川の清ければ、月も流れをたずねてぞすむ 長明
-「境内案内板」-
境内・社叢
神橋 一の鳥居
社頭掲示板 手水舎
神門 拝殿(舞殿)
拝殿 本殿
向かって本殿左 摂社 貴船社 末社 任部社
三井社 式内社(名神大)・三井神社論社 六社 諏訪社 (式内社・須波神社)・衢社・衢社・稲荷社・竈神社・印社・由木社
復元された長明の「方丈の庵」
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